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観光してきました3 [旅]

一昨日はフキノトウを採りに山へ行ってきた。

フキノトウを食べると胃を刺激するのかとてもお腹が空く。

フキノトウは眠っていた細胞を目覚めさせ起こすと言われてます。

知り合いのご主人が手術後も抗がん剤の治療で食欲もなく、元気な細胞もダメージを受けているようだ。


フキノトウを食べさせてあげよう!

フキノトウの佃煮を作って食べさせたら少しは食欲もでるかも。


そう思って75キロ離れた飯豊町まで行ってきた。

これが収穫してきたフキノトウ
これからフキノトウを洗って
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茹でて佃煮作りに取り掛かります。
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これは境港の鮮魚センターで買ってきたちりめんじゃこ(^^♪
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抗がん剤でカルシュームを摂りにくくなっているので、ちりめんじゃこ一袋入れてフキノトウの佃煮を作った。
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出来上がった佃煮を、大腸がんの手術をした義兄と、知り合いのご主人用と、我が家の分、三等分に分けた。

知り合いのご主人は精神面でだいぶ落ち込んでますが、心配してくれる周囲の気持ちが励みになっている、と言っていた。

「とてもおいしかった」と喜んでくれた。

帰ってきてから毎日このよう色々の作業です。


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旅行の続きです。

カーフェリーで敦賀港で下船です。

敦賀から高速へ上がった。

高速は、北陸道、名神高速道、中国自動車道、米子自動車道、と相棒と交代しながら走った。

途中食事をしたりトイレ休憩をしたりしながら、福井、滋賀、京都、大阪、兵庫、岡山まで走り、そこから鳥取の米子市を走って境港まで。

かなりの距離を走ったもんだ、体力有るなぁ~~あまり疲れていない。

境港の娘のところに一泊して次の日は境港の七類港からカーフェリーで隠岐の島へ。
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「くにが」このカーフェリーに乗る予定でした。
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乗る前の孫の記念撮影
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しかし乗船手続きをした娘は、私たちをこのカーフェリーへ連れて行った。
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乗船してから撮った七類のターミナル
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前の船は「くにが」
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出港したようです。
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中を散策。
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岸がだんだん遠くなる、しかし相棒の姿がない??
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こんなに離れたのに船の中にはどこを探しても居ない。
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そんなに広くないのに・・・様子がおかしい?

インフォメーションへ行って

「車と一緒に乗った主人が居ないのです」

「呼び出します」

とマイクで呼び出し放送をしてくれた。

しかし現れない!!!!

もしかして、と思ったインフォメーションの担当者たちが

「どこの港で下船ですか?今「くにが」に問い合わせてます、少しお待ちください。」

「誘導係が別の船へ誘導したことが分かりました」

それからが大変、手違いで、私たちは「おき」に乗り、相棒は「くにが」に乗ってしまったらしい。

相棒は金も持っておらず、携帯も持っておらず・・・。

担当者に、どんな方法で連絡を取ったらよいか相談した。

「くにが」のスタッフの携帯と、「おき」のスタッフの携帯で、娘と相棒が話すことが出来た。


娘が乗船券の確認をせず乗ってしまったのが原因でした。
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一時はどうなるのかと心配しましたが、こんな手違いも旅の想い出です。


次も観光です。


ご訪問いただきありがとうございました。


またお越しください。

観光してきました2 [旅]

船旅が始まりました。

この船には福島からのツアー団体、仙台からのツアー団体も一緒に乗りました。


1泊するので、家族で過ごすため娘にネットで個室の手配をしてもらった。

スイートルームは和室洋室など、基本的にはペアで使用することを想定して作られてます。

和室も良いけど畳の部屋は3人までなら寝られそうですが4人となると無理。

4人で寝られる部屋はこんな形の部屋しかなかった。
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畳 2畳の広さにテーブルテレビ、ポットに茶櫃が置かれて、二段ベッド
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気がねなくくつろげて落ち着ける、孫は喜んでいた。
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洗面所もあり、歯ブラシ、タオルも用意してあった。
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相棒は上の段で寝巻に着替えて読書です。
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孫の居るところはキッズコーナー、子供向けの本が置かれていた。

孫は本を読むのが大好きなので、ここで本を読んで過ごした。
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ゲームコーナー
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色々な遊びのマシーン
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コインランドリーもあります。
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この部屋には卓球台
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写真は無いけど水着を着て夏場のジャグジー、ペットを預かる部屋や、ビデオシアター、展望台大浴場などあります。


広いレストランもあり夕食はそこでとりました。

自分で食べたい料理を各自お盆に載せて食べました。

食事を済ませてから大浴場へ♪


ベッドで休みましたが大きい船なのでほとんど揺れません。

とても静かです。



周囲は静かになったころ・・・隣の部屋から。。。

大きな声でペチャクチャ ペチャクチャ・・・ゲラゲラ ゲラゲラ・・・。

静まり返っているから一層響く。

声は孫の寝ている壁側の部屋から聞こえてくる。

大声のおしゃべりは、なかなか終わらない。

そのうちに孫が

「お母さん、声がうるさくて眠られないの」

お母さん 「壁を叩いてごらん、止むと思うから」

孫は仕切られている壁をトントンと叩いた。

それでも大声の、おしゃべりは終わらない。

孫 「たたいたのにやまないよ」

お母さん 「こうするのよ」

と、にこやかな顔でドカッ! と一発壁を蹴飛ばした。

シ~~~ン・・・やんだ

ポカーンとしている孫にお母さんはにっこり笑って

 「ね。静かになったでしょ、おやすみなさい^^」

その後、物音一つしなかった。

翌朝、隣の方は、どんな人か見たかったけど会うことできなかった。


こんな旅の出来事でした。


ご訪問いただきありがとうございました。


またお越しください。

観光してきました1 [旅]

旅から帰ってきてから忙しかった。

庭は落ち葉などでゴミだらけ、庭掃除。

家の中も掃除、鉢植えの植え替え、伸びた庭の草取り、春の山菜取り。


そのほか町内の下水掃除に、柿畑の肥料撒き、山の手入れ、


毎日がこんな仕事でした。


…。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



4月初め、娘と孫と4人で新日本海フェリーで旅に出発した。

全長195M  総トン数20554トン  22.7ノット速力  926名定員 
トラック186台  乗用車80台  の大きいカーフェリー


新潟港から敦賀まで11時間の船旅です。
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本来、横書きの字は左から右に読みます、出発前、孫は

「ばからしーリェフ」 だって・・・!

と読んだので大笑いした。
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「フェリーしらかば」なんだけど・・・でも間違っていない。



車の乗船口をつなぎ始めました。
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作業員の作業しているのが見えます。
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こちらも人を乗せる乗船口をつないでます。
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インフォメーションで受付をして乗船しました。

中のラウンジ
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フォワードサロン
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お天気が良かったので甲板へ出て見ました。
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風が冷たったので人はあまり居りません。
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フェリーは新潟港からどんどん離れていきます。

高いノッポビルは「トキメッセ」
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屋根の尖った左が「ネクスト21」 右が「県庁」のビルです。
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港からどんどん離れた、薄いけど雪を頂いた山も見えます。
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弥彦山が見えてきた。
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完全に日本海へ出ました。
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日本海に夕日が沈み始めた。
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しかし風が強すぎて立っていられない。

沈むところを撮ったけどブレブレ写真で削除した。


続きます


ご訪問いただきありがとうございました。


またお越しください。

プチ旅で福島へ 2 [旅]

がんの宣告を受けてまる1年、昨日病院へ「がん」の定期検診へ行ってきた。

CTを撮って診察を受けた。


肺に見えるがんは、はっきりと見えるが大きさは全然変わっていない。

なにも成長していなかった。


「がんもどき」かなぁ~~

検診はまた半年延びた。

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前回の続きです。

この日、大内宿の上空をヘリが飛んで過ぎ去って行った。

事故があったのかなぁ~~ ドクターヘリかなぁ~~と空を見上げた。
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大内宿から次のところへ移動です。

道中こんな山崩れが見えた、最近災害が多いので気になる風景です。
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着いたところは「芦ノ牧温泉」
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大きくて庭の綺麗なホテル
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ここで食事をして温泉へ入る予定♪
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中へ入ると広いラウンジ
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ところどころにさり気なく和の気配り。
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出たご膳
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写真は撮れないけど、お風呂も大きくて渓流を見られる露天風呂。

食事とお風呂を済ませて、その後会津若松へ。

鶴ヶ城のお堀。
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お土産売り場の物産展へ入ったけど、昨年まで無かった駐車料金の料金支払いが・・・!

バスのガイドさん、大勢のお客さんを連れて行くのに「昨年までは無料だったのよ」と言っていた。

産地の物産を買うのに寄って駐車料金請求はどうかと思う!


道中バスの中でジャンケンゲームをした。

私は負けちゃったけど相棒が勝った(^0^)

ささやかですが景品をもらった。
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中に入っていたものは、扇子でした。
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頂けるものは何でも嬉しいね♪♪♪


ご訪問いただきありがとうございました。


またお越しください。

プチ旅で福島へ 1 [旅]

毎年恒例の銀行友の会の付き合いで旅行に行ってきた。

バスは福島県会津本郷に入り、本郷焼で有名な街を走り山越え。

ダムを造るとき資材を運ぶために造られた道路を走った。

しばらく走って急に明るくなった・・・ダム湖です。
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以前冬に来たときこの道路を山越えしたことがある。


雪景色の宿場を見たくて、標識を見て目的地が近いと思って入った道です。

しかし時期は冬、道路には雪があり すれ違う車もいないのにどんどん山奥へ入って雪の量も多くなってきた。

曲がりくねった山道をすれ違う車も無く、雪で車が動けなくなったことを考え心細い思いで通った道!

そんなことを思い出した。


ダムです。

見えてきたダムはロックフィルダムだった。
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目的地へ到着です。

この建物は宿場のお寺、お寺も茅葺屋根
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この家は屋根のふき替えをやってます。
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観光地化してお金が入るのでしょう、訪ねるたびに変わっています。
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行ったところは大内宿
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ここは本陣
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節句の1つの行事でしょう、どこの屋根の軒下もこんなものがぶら下がっている。
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その各家の軒下にはお土産を並べて
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ずいぶん昔になりますが、各家庭で作った冬の保存食品の大根やキュウリの味噌漬けを、各家庭で詰めたものを売っていたので買ってきた。

昔ながらの味で美味しかったけど、今は無い。

売っているのは、お土産用に作られた漬物ばかり・・・ガッカリ!


この下がっている束は、リンゴや桃などを受粉させるためのマメコバチの巣
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↑ 花の時期になると下がっている萱の束を外して畑へ持って行く、マメコバチが受粉してくれます。


屋根の上にある子屋根はうだつではなく、囲炉裏時代の火の煙出し。
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その日は、新人ガイドさんの勉強している姿があった。
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何処でもそうですが観光地化がすすむと利益に走り素朴さが消えていく気がした。


次回も福島の旅です。


ご訪問いただきありがとうございました。

またお越しください。

復興支援です 4 [旅]

続きです。

次の観光地まで車窓から撮った写真です。

かさ上げ工事の真っ最中です。
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海岸の防波堤、かさ上げです。

住宅地はまだまだ先、住民の暮らす宅地までは手が届いていません。
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到着したのは松島。

ここでカキ料理です。

蓋を外してませんが鍋の中もカキ鍋、美味しく食べてきました。
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食事後は、松島湾を船で観光する人、瑞巌寺を観光する人、に分かれた。

松島湾は以前船を貸し切りで観光しているので、修復の終わった瑞巌寺を見ることにした。

行ってみると瑞巌寺は以前と違っている??

明るい・・・石畳の参道が無い・・・!!!

津波が来て参道の大木の杉木立は塩害で枯れるから全部伐採されていた。

それで参道は歴史調査のため発掘作業をして掘り起こされていた。
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別の参道です。

開創は慈覚大師と伝えられてます。
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当時僧侶たちが引きこもって修行した穴です。
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穴は、たくさんありました。
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境内に入るとこんなにきれいな苔が♪
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津波は建物までは上がらなかった。

瑞巌寺ですが中は伊達藩のお抱え絵師の描いた襖や屏風、お抱え彫刻家たちの彫った欄間が見事でしたが、国宝なので写真は撮られません。
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宝物館も入りましたが、撮影禁止で有りません。


ここを見てから五大堂へ行った。
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五大堂です。
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五大堂から見た松島湾。
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五大堂から石巻へまた買い物ツァーで移動です。

しかし写真を撮り忘れて有りません。


帰りに車窓から撮った風景です。

ここは仙台、農地も元へ戻って見えます。
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仙台も道路によって被害の大きさが違ったのでしょう!

近くでも場所によってまだ復興の遅れは見えます。
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自然災害と向き合って生きることの厳しさを見ました。


買ってきたお土産(^0^)

友達にみんな上げちゃって我が家のものは有りません。
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他にかまぼこ類も買いましたが、家に着く前に親戚へ配ってきたので写っていません。


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聞いたこんな話

余震の続く中、皆様には食事を配りスタッフは笹かまぼこ1枚でしのいだ。

避難者には水が無いから紙の皿にラップを敷いて食事を出した。

風呂は1週間に1回、それでも誰1人も文句は言わなかった。


地震から36日目 インフラが徐々に復興しホテルにも電気が通る。

でも断水が続いていて洗濯は川でした。

材料の限られた中で「温かいものを出したい」、温かいものを作った。

そんな気持ちが伝わって 笑顔で 「ごちそうさま」と言ってくれた。

それが励みになって、「もっと頑張ろう」と言う気持ちになった。

南三陸町の、人の心の温かい話を聞いてきました。

人は助け合ってこそ乗りきれる力強さを知った旅でした。


ご訪問いただきありがとうございました。

またお越しください。

復興支援です 3 [旅]

今夜の宿、南三陸  ホテル観洋


このホテルは東日本大震災の時、ホテル自体津波にやられたところです。

海の側に立っているホテル、津波はホテルの2階まで上がった。

大浴場は2階にあった、津波は2階の大浴場の大きいガラス窓を、ことも簡単に突き破って入った、と聞きました。

その時宿泊客も居りましたが、帰る道も全て寸断されて帰るに帰られなくなったそうです。

ホテルは避難者の避難所になり、家を失い着の身着のままの行き場を失った避難者を受け入れた。

避難者の数はドンドン増えて、ホテルで受け入れられる人数の3倍以上の人数?もっと多かったかな? 話は聞いたのに・・(><)

ホテルの部屋は全部提供、入りきれないあふれた人は通路でもどこでも使えるところは全部使って泊まってもらった、と話してくれました。

問題は食事、数日分のストックは常に用意してあるが、すぐ底を突く。

ホテルで世話を出来る人数の数倍の食事分・・・それが3食!


当日から電気無し、料理の水無し、トイレの水無し、風呂無し、食器を洗う水無し・・・・・・。

そんな悲惨な日々、ホテルのスタッフは寝ずに避難者の世話に当って助けを待った。

物資を運ぶにも車の通れる道無し、川に架かっていた橋は流された、陸の孤島。

自衛隊の災害派遣が来るまで堪えたのです、自衛隊にとても感謝した、あの日のことは忘れられない、と言ってました。

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ホテル前で ホテル観洋を記念に、と思って名前を撮っていたら、スタッフが

「ホテルの名前を入れて撮ってあげます」

と、撮ってくれた。
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私 「このホテルをブログで紹介してあげたいの」

スタッフ 「それならちょっと待っていてください、支配人を連れてきます」
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と撮ったツーショット(^^♪

太めの体型の私です(><) ハイ



こんな話を1つ

当時、東日本大震災で被災現場の取材に来ていた新潟のUX放送局のアナウンサー。

被災地の避難所になったこのホテルの取材に行った。

走り回って骨身も惜しまず寝ずに世話に当たっているスタッフに感動(@@)

一丸となって働く姿を見ていたアナウンサーの〇〇さん

(〇〇さんにします、名前を載せる承諾をとってませんから。)


それを見て「だんだんこうしてはいられない・・・自分も何かをしなければ・・・」

「役に立つことは何だろう??自分には何ができるのだろう・・・」

「自分にできることから始めよう」

と自発的に避難者の世話の手伝いを始めた。


そのUX放送局のアナウンサー、今放送局を止めてます。

今はホテル観洋に勤務、ホテルの従業員としておもてなしの心でお客様をお迎えしてます。

会ったらTVで見たことのある人でした。

その話題で観光には欠かせない1つ話で語られていて、人気者です。

〇〇さんは、夜の宴会の司会をしたり大活躍です。


************************:


この夜のご膳です。
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活アワビが蓋に(^^♪。。。新鮮な材料でおもてなし
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写真は撮り忘れましたが綺麗でとても広い素敵なホテルでした。


線路は女川町まで開通しましたが、この南三陸町は鉄道の復興はありません。
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↑当時は復興させる予定でしたが、復興するには1000億必要、会社と国が700億負担、300億は地元負担。

地元には300億の財政は無い、断念せざるをえない苦渋の選択でした。

次の日、女川町へ移動です。


 この女川町も小さい町なのに死者の数800人以上,人口率の55%の死亡率を出した町です。


津波の高さは20m、病院はじめ色々な施設が津波に呑み込まれた町です。

当時は被害が大きく目を覆いたくなるような被災地です、今ガレキも片付いて綺麗です。

次に寄ったところは魚市場。


ガイドさんからバスの到着時間の連絡で、その時間に合わせて産地の鍋汁を作って待ってます。
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ここでもたくさん買い求めました。

乗った人数のバス1台分の買い物は助かると思います、とても喜ばれました。


次はかまぼこ工場見学です。
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このかまぼこ会社は、工場を造っているとき災害にあいましたが、基礎の土台が出来上がったときだったので被害は少なかったと聞いてます。
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練からすべて機械化ですが、検査と包装は人の手です。
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アツアツの出来たて試食を頂いて、またたくさんのお土産購入です。


ここは万石湾

万石湾は口が狭く津波が押し寄せてきたとき大きな船が口をふさぎ、大量のゴミが入らなかった。
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海の畑、カキ養殖は入り口をふさいだ船のおかげでガレキが入らず助かったのです。
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悲しい話ばかりじゃなく、こんな話も聞いてホッとしてます。


次回もお寄りください。


ご訪問いただきありがとうございました。

復興支援です 2 [旅]

仙台名物の牛タン料理を食べてから次の目的地へ移動です。

被害の大きかった南三陸町です。

人口が少ないところなのに555人亡くなられたと聞いてます。

杉の立っているところまで津波が押し寄せた、と聞きました。
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海水のかぶった木は塩害で枯れるので伐採したのです。
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遠くの矢印の建物は戸倉小学校です。
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戸倉小学校は津波に飲みこまれました。

しかし戸倉小学校に勤務する先生の中に、この町に生まれ津波の怖さを聞いて育った人が居た。 

以前から地震や津波の避難場所はどこが良いか普段から検討していた。

学校の最上階が良いとか・・・色々な意見!

その先生は

「学校はダメだ 神社のある山が良い」 と言っていた。

神社は車で移動だったので近かったけど、子供の足では離れていた気がする。

避難場所は神社に決定して、地震の前の日その訓練を学校で行っていた。

子供たちは、学校から走って一目散に神社の山へ駆け上る訓練をした。

その翌日、地震と大津波が襲った。



津波が押し寄せた時間は、この時計で分かります。
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大津波の押し寄せた時間に時計は止まってます、学校の最上階だったら悲惨な結果だったでしょう。
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この学校の子供たちは、神社のお堂にぎゅうぎゅう詰めに入ってみんなで温めあった。

3月11日はまだ寒い、寒さで眠気がさす、眠らないように卒業式に歌う歌を一晩中歌い続け、みんなで励ましたそうです。

この先生の判断で戸倉小学校の子供たちは全員助かったのです。


校舎に押し寄せた津波、津波は海の方から来るものとばかり思ってみていたら学校の裏にある1mにも満たない小さい川からものすごい勢いで上がってきて、津波の様子を見ていた関係者は亡くなられたと聞きました。
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当時の写真です、津波が襲った時の体育館、矢印は体育館に車が数台引っかかってます。
 
私の書いた矢印は3本ですが、写真では5台ぐらいは分かりましたが・・・。
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今は使われていませんが、これがその体育館です。
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体育館の前には、仮設住宅が並んでます。

移動販売車は来ますが、不便、店が無い、などと減り3分の1しか住んでいないそうです。


病院も津波の上がったところが印されてます。
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この建物はセレモニーホールかな!
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その日は施設の年寄りの集で使っていたそうです。

居たのは1階だったか2階だったか分かりませんが、スタッフは

「生きたかったら自分の力で屋上へ這い上がれ」

と叫び続けた、と聞きました。

車窓からは撮りにくかったので写真は有りませんが、建物の中は凄い状態でした。


TV放映で「天使の声」で有名になった防災無線で呼びかけた遠藤みきさん、この建物から呼びかけた。
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みきさんを避難させるため交代して呼びかけた上司の三浦さん、この人はあまり知られてませんね。
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遠藤みきさんは1週間後、遺体は上がりましたが、5年も経つのに三浦さんはまだだそうです。

奥様は、今も首を長くして帰りを待っている。


そこは今、かさ上げがすすんでます。
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10・6mのかさ上げで、この場所は商業地になると思います、と語り部さんが話してくれた。
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あっちこっちで重機が動いてますが、先のめどは立っていない状態です。
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防災無線の建物は小さく見えるほどの土盛りですが、商業地なのか企業地なのか、まだ何も決まってないと聞いてます。
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完成まで、これから10年とも20年とも言われてます。


暮らすには道路も橋も出来上がって通れるようになりましたが、被害が大きくて病院も無く買い物も不便、働く場所も無い、そんな理由で過疎化が進んでます。

南三陸町は地盤が硬く建物は地震には耐えましたが、津波にやられた街です。

いつも思いますが、災害が起きると年寄りは取り残されて、行き場が無いのです。

この国は先進国と言えるのか、時々考えさせられます。

(写真は、南三陸町の当時の写真をお借りしました)


次に続きます。


ご訪問いただきありがとうございました。


またお越しください。

復興支援です 1 [旅]

毎年恒例の復興支援買い物旅行に行ってきました。

昨年までは福島の相馬市、南相馬市、いわき、茨城県、栃木県といろいろなところへ行きました。

今年は北上して宮城県へ!

南三陸町、女川町、石巻、松島、などです。

被災地は人が来ない、商売ができない、金が落ちない、暮らす人たちの生きていく目途が立たない。

今回行ったところは5年も経つのに、まだそんな状態です。

私たちのできることは、現地で物を買ってあげることしかできませんが、被災地では人の来るのを楽しみに待って居た。

ささやかな支援なんですが、そこで暮らす人にはとても感謝された。


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旅は 「南三陸グルメ旅」

今回の支援買い物参加者は40名。

観光コースは新潟交通にお任せ。

道中は楽しくワイワイガヤガヤ♪

途中宮城県のニュータウンで昼食会。


ニュータウンは立派@@

マンションもお洒落(^^♪
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アウトレットも広いのよ~~
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分譲地で暮らす人たちがここへ来ると全部まにあうから便利でしょうね。
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休みの時は家族で来てゆっくりとくつろげそう。
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この近くの高台には若い人たちの住宅が増えていて、こういうところがあると便利でしょう。
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食材も豊富
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今回の昼食メニュー

サラダ
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スープ
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牛タン
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コーヒーとデザート
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昼食を済ませて次の観光地へ移動です。


ご訪問いただきありがとうございました。


またお越しください。

プチ旅4 [旅]

「北ベトナムの旅」はまだありますが、今回はちょっとそれて別の話題です。

お隣の県福島へ支援買い物に行ってきました。


 出かけた日は、9月13日。

新潟の田園は早場米が刈り取られ始めたころでした。
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今は稲刈は殆ど終わりで、残っているのは50町歩クラスの大型農業、専業農家のものだけです。


行ったところは何度も載せているから書きませんが、こんな柱のある寺「だきつき柱」に相棒が抱きついてます。
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この寺で出迎えてくれた体型が私によく似ているふくよかなお方と握手。
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この寺の周辺を散策していたらこんな建物が目に入った。
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見に行ってみると除雪車

ロータリーです、羽で雪を飛ばします。
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こちらは蒸気機関車で雪を押すラッセル
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この羽が開いて雪を押します。
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新潟長岡駅に常備されていたのもでした。
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我が街にも綺麗に整備されて建物の中に入っているD51があります。

鍵がかかっていて外からは見られず、鉄道マニアから幻のD51と言われてます。

次の観光地はリニューアルオープンした野口記念館。
ノーベル賞はもらえなかったけど世界的有名な研究者とツーショット。
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次の観光地も寺でした、その寺にも「だきつき柱」があります。
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私は別の寺の「だきつき柱」に抱きついた。


この日訪れた寺にはこんな種類の花がたくさんあった。
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この種類の花は白や赤なども有った。


支援買い物に来たので、我が家はリンゴをたくさん買った。

皆さんそれぞれ立ち寄ったところでその都度いろいろ買っていた。

柏屋さんでは、お土産用にかなり買い物をしていた。


ご訪問いただきありがとうございました。

またお越しください。